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バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

奥様と二人っきり

                      ≪十月十八日≫    ―麓―

   正男等四人は、ジョセフ・ハウスで自炊の予定があるとかで、今晩は

 二手に分かれて夕食を取る事になった。
 会長家族と俺の六人は、レストラン”美智子”へ向う。
 レストランに到着したのが、午後七時。
 開店の午後八時まで、庭のテーブルで待たせてもらうことにした。

   庭には小さな水のない池があり、丸木の橋がコンクリートで渡されて

 いる。
 建物の壁には、季節はずれの鯉のぼりが二つ、無造作に貼り付けられてい

 た。
 会長と玲子ちゃんが二人で、ワインを買ってくると、店を出て行ったの 

 で、奥さんと二人きりになるチャンスを突然得ることになる。
 もちろん、子供たちがいるにはいたのだが。
 奥さんは、俺より少し上だろうか。

   奥さんと初めて顔を合わせたのは、第二回ヒッチハイク競技大会の閉

 会式だった。
 第二回大会は、東京上野公園から北海道・網走の天都山までの競技だっ 

 た。
 俺は友達を連れて参加していた。
 このときの賞品が会長からのものだった。
 文化放送からのライターに、会長からの砂漠用の水筒、火縄など会長の中

 近東お土産だったのだ。

   問題の一位の賞品が奥さんからのものだった。
 当時は奥さんではなく、まだ婚約者だったのだが・・・。
 奥さんは、会長の横に立って、終始ニコニコしていて、表彰される人達に

 手をたたいていたのだ。

   表彰式が終わって、突然会長の結婚式が始まったのには驚かされた。
 何も聞いていなかった俺には、寝耳に水の結婚式だった。
 天都山の頂上には、競技参加者60数人が集まっている。
 そのほかに、観光客やら、道内の報道陣が多数参加していた。
 そこへ、テープを持った神父さんとコカ・コーラを積んだ車一台が山に登

 ってきた。

   神父さんが到着してすぐ、結婚式は始まった。
 会長と奥さんは私服だし、花束以外何もない結婚式だったのだが、これが

 また荘厳で素敵な、今まで見たこともないぐらい感動させられた。
 そのときの奥さんの満面の笑顔は、今でも忘れられない。
 これが本当の女の幸せではないだろうかと思う。
 これが真の結婚式だと。
 俺も結婚するなら、こんなすばらしい結婚式をしたいもんだと・・・あの

 時は、憧れさえ抱いていたもんだ。

   そのときに使われたシャンパンが仲間たちに渡って、回し飲みされた

 のだが、俺のところに来たときは、ほんの一滴が舌を湿らせただけだった

 のが、今でも脳裏に焼きついている。
 そのときの一滴が、何物にも得がたい、聖なる水に変わっていたようにも

 思う。

    ウエディング・ドレスを身にまとっていない奥さんでしたが、それ

 で十分な花嫁らしい憂い憂いし輝きがあったことを思い出していました。
 そのとき俺は、なんと重大な儀式に参加させてもらっているんだなと感謝

 さえしていました。
 そうした雰囲気は、今までの自分の人生にでは経験したことのない、荘厳

 な気持ちで充満し、立ち尽くしていたのを、今でもはっきりと思い浮かべ

 る事が出来るのです。

   今そのときの奥さんと、テーブルを挟んで対峙している事は確かなこ

 となのです。
 そんな俺の興奮状態を察知したのか、奥さんの方から話を切り出してくれ

 たのです。

       奥さん「どうでした?旅は・・・。大変でしたでしょう  

 ね・・。」

   それは、それは、外気の冷たさも、広がった闇も、何も二人を妨げて

 いるものは何もなかった。
 二人の子供たちさえ、俺の視界から消え去っていたのでした。
 静寂な二人だけの夢の世界が広がっていたように思います。
 こんな場が、アテネでセッティングされようとは、・・・考えただけで 

 も、可笑しさが込み上げて来るのが分かるのです。
 俺の憧れだった奥さんが目の前にいる。
 それだけで、胸が高鳴っていました。

   後から聞いた話ですが、この時の奥さんの感想を、会長と玲子ちゃん

 は内緒で教えてくれました。

       会長「あの男前の人?誰?ヒッチハイクの会員に、あんな良

 い男いたかしら・・・って言ってたぞ。」

   そうです。
 第二回大会のときは、顎鬚を生やし、山男のような汚い格好をしていたの

 ですから。

       玲子ちゃん「姉さんが、良い人ねって、一生懸命褒めてたわ

 よ。落ち着きのある人だって!」

   こんな冗談とも取れる言葉を真に受けて、有頂天になると、彼女を見

 る目が少し変わってくる。
 俺と話をしている時の彼女はまだ、初々しさと女の色香があったものだ 

 が、子供たちのことをかまっている彼女の姿を見ると、母親としてのたく

 ましさを見る思いがしたものだ。

   しかし、俺には、あの閉会式に見た彼女の姿が、いつまでも俺の心を

 捉えて離そうとしないのだ。
 そんな憧れが、いつまでも女に対する臆病さとなっている。
 異国での彷徨いの中で、一瞬ブラック・ホールでも迷い込んだかのよう 

 な、素敵な時間をすごさせていただいた思いがした。

                   *

   ワインを買いに行っていた二人が戻ってきて、二人は現実に戻され 

 た。
 二階にあるレストランへ移動する。
 日本の音楽が流れ、着物を着込んだ日本人女性が歩いている。
 しかし、このウエイトレスの歩く音と化粧のまずさ、そして着物の着こな

 しの悪さには、一遍に雰囲気が壊れてしまったように思えた。

   料理がめちゃくちゃ高い。
 それでも今日は、特別な日。
 ビールに漬物、親子丼、味噌汁と超豪華な食事となった。
 隣のテーブルを見ると、スーツを着込んだ商社マンらしき日本人が目に飛

 び込んできた。
 そいつらは、平気でこの店で最も高級料理である、鍋物に舌ずつみし、ウ

 エイトレスに向ってこういったのだ。

       そいつら「ネーッ!明日もやってるのこの店。また来るから

 さ、テーブル取っといて!!」

   なんとも日本人と言うやつは、どうしてこう(日本では、気が小さい

 やつらなのに)異国へ来ると、横柄になるんだろうね。
 妙に関心をしていると、会長がポツリと言った。

       会長「あいつら、ギリシャへ来てまで、日本の生活をしてい

 るやつらだよ。」

   新太郎君は椅子の上で、眠っている。

       奥さん「この子が寝てると、本当にホッとするわ。」

   真美ちゃんはパパの膝の上。

       真美ちゃん「真美、のどが渇いた。」

   ビールに手を出すと、会長は何も言わず、グラスを真美ちゃんの口元

 へ持っていく。
 真美ちゃんは、嫌がりもせず、ゴクリと一口飲み干した。
 グラスから口を離すと、ジッと天井をにらんでいる。

       奥さん「真美ちゃん・・・どうしたの・・。」

   奥さん、心配そう。

       真美ちゃん「天井が回ってる・・・・。」

   そのまま、真美ちゃんはパパの膝の上で倒れてしまった。
 一同、大笑い。


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